広禅寺は室町時代の約600年前、永平寺より名を受けた開祖”快翁玄俊大和尚(かいおうげんしゅんだいおしょう)”によって作られました。

曹洞宗の中本山お寺で「曹洞宗龍谷山 廣禅寺」というのが正式の名称になります。

開山当初は、津に建てれらたお寺でしたが、織田信長に寺を焼かれ、その後伊賀の別の場所に本堂を移しましたが

再び天正伊賀の乱で織田信雄に焼き討ちに遭い、今現在の伊賀上野の地へ建立される事になります。

当時、現在の寺がある場所を所有していたのは、藤堂高虎の家臣であった、渡辺勘兵衛様。

渡辺勘兵衛様は、ご自身のお屋敷や敷地をご寄付くださったばかりではなく、多額の寄付を投じて当時の民のため、寺を建ててくださいました。

渡辺勘兵衛様は、広禅寺にとって、現代で言う大スポンサーになります。

今でもその御恩を忘れぬよう、400年間毎朝、渡辺勘兵衛様と、またご家族様の為にお祈りをしております。

2018年から2020年まで、本堂の大改装をおこなっております。

年表

1414年(応永21) 

福井県今庄の地より快翁玄俊大和尚が来錫し、津市家所に殿堂を建立し宗風を振るう

1560年頃(永禄年間)

織田信長の侵略に遭い堂宇を焼失。

八世麒山玄麟大和尚、難を逃れた開山の真像、法衣、法脉を持して伊賀市河北の地に草庵を結ぶ。

1581年(天正9)

九世利天慶勝大和尚の代に移り伽藍の整備が進められていたが、再び織田信雄の侵略に遭い、伊賀上野の地に難を逃れた。

 1608年(慶長13)

藤堂高虎に伴い入府した渡邊勘兵衛 (二千石の采地を有領)、利天大和尚に相見し、大いに入信の念を持って大伽藍の造立に寄与され、現在の地に安住(現境内地は渡邊勘兵衛の屋敷跡である)。 爾来、今日に至り、諸祈願修行菩提の道場として大伽藍愈々の興隆を慶ばれている。